木と糸が紡ぎあげた私のちちぶ暮らし
足立 由美子さん
「百果店ひぐらしストア」店主の足立由美子さんは、日々の暮らしの中で秩父の自然や木の魅力に触れて以来、木工品、おもちゃ、さらには秩父の織物文化を通じて、地域の人と人とをつなげる場を創る活動をしています。秩父地域で広がりをみせる「木育」の取り組みでもご活躍されている足立さんに、これまでのさまざまな取り組みについてお話を伺いました。
(取材日:平成30年1月26日)
秩父もくもくきかく代表
ツグミ工芸舎/百果店ひぐらしストア
おもちゃコンサルタント/木育インストラクター
足立 由美子さん
ニューヨーク・マンハッタン暮らしから一転、秩父の山奥に引っ越してきました
今日はよろしくお願いします。まず最初に、足立さんは秩父に移住されてきたと伺いましたが、秩父に住もうと思ったきっかけを教えてくれますか?
夫と私はアメリカでの暮らしが長くて、今から20年ほど前に帰国を決めた際には、ニューヨークみたいな都会ではない、人があまりいなくて静かなところで暮らしたいと思っていました。
最初は場所にもこだわりがなくて、インターネットで国内を手当たりしだい探していましたね。ただ、母親が埼玉県内にいましたので、アメリカから帰ってきたときに、そこを拠点として探すとなると、例えば山梨とか、県内だと秩父とかだなと考えていました。あまり遠いと現地まで行って物件を見ても、気に入らなかったら無駄足になってしまいますからね。
秩父は子どものときに遠足で来た記憶があったし、一時帰国したときにも、長瀞に遊びに行ったりと思い入れがありました。それで山奥の古民家が気に入って、購入して住むことにしました。あとはやっぱり、東京に近いっていうのも理由としては大きいですね。
秩父に来てからはすぐにお店を立ち上げようと思っていたんですか?
正直、こっちに来てからは何も考えてなかったんです。当時はノープランで行き当たりばったりな暮らしをしていたので、最近もよく「移住者の声」でアドバイスを下さいって頼まれることも多いんですが、中々いいことが言えなくて(笑)。でも、秩父に縁があったってことですね。
森や木と寄り添う暮らしの中で、
「木って面白いな」って感じるようになったんです
木工に出会ったきっかけは何でしょう?
周りを自然に囲まれた暮らしが始まって、森や木々を身近なものに感じるようになりました。田舎暮らしをするにしても実は一つだけ条件があって、海の近くではなくて、山や川の近くがいいと思っていました。そうなると秩父はぴったりだったんです。山に住んで、自然の中で朝起きて、日々を過ごすということがしたかったんですね。
購入した古民家ですが、住んでみたらとても住み続けられないほど古かったので、結局建て替えをすることになりました。そのときに大工さんから、「木が生きている」、「木が泣く」とか、職人さん独特の感覚での木の捉え方を教わって、面白いなって感じたんです。
解体した家の梁など大きな材木は新しい家に再利用したんですが、古材がたくさん出たので、これを使って何かできないかなと考えるようになりました。
購入した民家は築100年だったんですが、古い家に使われていた古材って、その前の建物に使われていたさらに昔の古材である場合も多いんですよ。使われていないホゾ穴とかがある柱があったりして。
家が100歳でも、材木は200歳かもしれないってことですね。
昔から木材は再利用されてきたんですね。時代が変わっても、使えるものを使っていくって、とっても自然なことだなと思います。古材は年数を経て見た目も味がでますし、防腐剤が使われていないので食器にしても安全だし、いいことがいっぱいあるんです。さらに、自分の家で調達できるので輸送費もかからないし、これって本当にエコな素材だなと思ったんですね。
手作りの木のお箸とスプーンが幼稚園で好評で、
「これでいこう!」って思い立ちました
子どもが幼稚園に入るとき、お箸とスプーンを持っていく必要があったのでお店に買いにいったんですよ。でも、キャラクターものの、プラスチック製の商品しか売っていなくって。「しょうがないかな」と思っていましたが、あれって使っていると絵が剥げてしまうし、ちょっと気になっていました。それで、ふと夫に、「家にある木で作ってよ」って頼んだんです。
旦那さんは工作関係が得意だったんですか?
もともとテキスタイルデザインを手掛けたり、アーティストとして絵も描いてまして。平面美術のほか、彫刻などもやってたんですが、木はまったく専門外で。
秩父には特に働き口があって来たわけではなかったので、夫も「何かやらないと」って感じていたとは思うのですが、比較的自由な時間があったので、近郊の職業訓練校で木工家具制作の半年コースを受講しました。その後、県内の授産施設(障がい者の方が支援を得ながら自立する能力を身につける施設)に木工部があって、そこで利用者さんたちに木工の指導をしながら、自分の技術も磨いていました。
その頃は、夫の中でも、「やっぱり自分で何か作りたい」っていう気持ちが強くなっていた時期だったと思います。
そうしてできたお箸とスプーンが、幼稚園の先生やお母さん方に、「それいいね~!」っていわれて好評で。それで調子に乗って、「ヨシ、じゃあ、これでいこう!」という流れですね(笑)
暮らしの変化に伴って、縁あって秩父の街なかへ
お店もその頃からはじめようと思ったんですか?
お店はもう少しあとですね。2009年に「ツグミ工芸舎」を立ち上げて、都内などで古材で作った食器を販売するようになりました。当初はお店を構えようと思っていなくて、ホームページを作って、イベントでの出展販売や、委託、買取販売などが中心でした。
その何年かあと、上の子が通った近くの小学校が閉校することになったんです。別の学校に下の子を通わせることも考えましたが、そこもいずれ閉校する噂がでていたので、子どもが6年間落ち着いて通える学校が近くにあるところで暮らしたいと思い始めたんですね。
それに、時折「ツグミ工芸舎の工房を見に行きたい」って連絡をいただいて、わざわざ遠方から来ていただけるお客さんもいたんですが、何せわかりづらいところですし、山の上だと携帯電話もつながらなくて、皆さん迷ってしまったりということもよくありました。
そんなときに、縁あって今のお店がある建物に出会ったんです。
誰でも気軽に遊べて、お母さん達が集える場をつくれたらと思って、自宅を開放しました
この建物も、古くて趣があって、とても雰囲気がありますよね。
古い長屋という建築にとても魅力を感じたのと、ここなら学校がなくなることもなく、親も子も安心していられるし、お客さんが迷うこともないかなっていう理由で決めました。2012年の初めに街なかへ引っ越してからは、お店もちょっとずつはじめました。山奥の家はまだありますし、工房もそちらなので、山と街を行ったり来たりの生活をすることになりました。
実は秩父へ移住してきた頃、山奥だから、子どもたちの遊べる友達や場所がいつも同じに限られてしまう悩みがあって。
秩父の外から来て、結婚して、子どもを産んだお母さんは、最初遊ぶ友達もいないじゃないですか。児童館に行っても地元のお母さんたちの輪に入れなかったり。だから、そういうお母さん方含め、誰でも気軽に遊べるところがあればいいなとは思っていました。
そういったきっかけを自分が作ることができれば素敵だなって思うようになって、それで、まずは自宅を開放して遊べる場を作りました。おせっかいですけどね。思えば、これが今やってることにつながるきっかけになったんですね。
東京おもちゃ美術館にすごく共感して、
「私たちも同じことやってる!」って嬉しくなりました
「おもちゃコンサルタント」になろうと思ったのもその頃ですか?
都内でたまたま子育て関係のフリーペーパーを手に取ったら、東京おもちゃ美術館の多田館長の記事があって。その中で、「おもちゃは、子どもが生まれて初めて手にする芸術品、そしてコミュニケーションツールだ」というような言葉があったんです。
「そうそう!そうだよね!」ってすごく共感して、「私たちも同じことやってる」って嬉しくなりました。それで、週1回10か月間、おもちゃコンサルタントの講座を受講するために、山奥の家から3時間半かけて四谷にある東京おもちゃ美術館に通い詰めました。
往復7時間ですか!すごい信念ですね。
通信講座もあったんですが、「コミュニケーションには、やっぱり直接顔を合わせて学ばないと!」って思って通うことを決めて。そうしたら、全国各地から飛行機や高速バスを使って来てる人もいたんです。同じ想いを持った熱い人がいて、嬉しくなりました。
「おもちゃの広場」の回数を重ねるうちに、
もっと多くの人に伝えたいなと思うように
それから、「おもちゃの広場」がはじまりました。おもちゃコンサルタントになって一定の条件をクリアして認定されると、東京おもちゃ美術館が所有している世界各国のおもちゃを借りることができるんです。それで、市内のショッピングモールや花の森こども園で場所を借りて開催しました。
おもちゃの広場っていままで何回ぐらい開催したんですか?
このあいだ数えてみたら、大小あわせて30回ぐらい。思ったよりたくさんやってましたね。秩父の隣の寄居町でやったり、都内でも雑司ヶ谷の手創り市でやったりもしました。
子どもだけじゃなく、知らない大人どうしでも、おもちゃを通じて仲良くなれるんですよ。
皆さん楽しんでもらえるし、それで満足もしてはしていたんですが、でもやっぱり個人でやることに限界を感じて。欲がでたんでしょうね。取り組みを大きく広げて、もっと多くの人に認知されるパブリックなところでやってみたいと次第に思うようになりました。
おもちゃを通じて人がたくさん集う場がつくれることを形にしたくて、「秩父版・木育キャラバン」の開催を決意しました
おもちゃコンサルタントになってからは、「ウッドスタート」のことも知りました。その頃、まだ埼玉県内ではどこの地域もやっていなかったんですね。
秩父はこれだけ山に囲まれて、埼玉県内でも一番森林が多いところじゃないですか。それで、「やるなら秩父が最初でしょ!」と思っていました。東京おもちゃ美術館の皆さんにも後押しされて、「よし、じゃあ秩父市役所を動かそう!」って。
東京おもちゃ美術館からも、「一度、市長さんに取り組みを見てもらった方がいいね」とアドバイスを受けまして、秩父市にウッドスタートをやってもらいたい思いから、「木育キャラバン」の開催を決意しました。
東京おもちゃ美術館と、足立さんが主宰する「秩父もくもくきかく」がコラボレーションした木育キャラバン「秩父の森のおもちゃ美術館」は、「森の活人」の支援制度を活用していただいたんですよね。
そうなんです。私は秩父の織物にも少し関わらせていただいた経緯があるんですが、それでお付き合いのあった市役所の職員の方から、「足立さん、こういう支援制度が使えるよ」って紹介してもらいました。
私のやりたいことを個人レベルでやっても、やっぱり行政を動かすのは難しいと思い、支援制度で補助金をいただいてやることで、オフィシャルな取り組みにできたことが大きいかなと感じます。
そうして2014年11月に開催した秩父版・木育キャラバンである「秩父の森のおもちゃ美術館」は、本当に大成功させることができたんです。
東京おもちゃ美術館にある世界中のおもちゃのほかにも、秩父産木材、秩父銘仙などを使って、秩父の作り手が製作したオリジナルのおもちゃも発案しました。それらの登場で「秩父らしさ」が全面に出たキャラバンになったかなと思います。色々な方にご協力をいただいて、またさらに輪が広がっていく感じがしました。
秩父の木材と秩父銘仙とのコラボレーション、秩父への想いがつまったおもちゃ「TUMICCO(つみっこ)」が誕生!
秩父市と東京おもちゃ美術館との橋渡しをしていただいたんだなと思います。その後、秩父市がウッドスタート宣言をして、誕生祝い品制度が始まりましたが、第一弾のおもちゃも、足立さんが発案されたんですよね。
秩父市の誕生祝い品デザインの公募があると聞いて、この機会に自分の想いを形にしようと思いました。そうやって生まれたのが「TUMICCO(つみっこ)」です。採用されることになって、本当に感無量でしたね。
TUMICCOは、秩父のスギとヒノキからできた手作りの積み木のおもちゃです。名前は、秩父の郷土食の「つみっこ」と、「積み木」を掛けて考えました。一つ一つのピースは、昔ながらのノコギリ屋根の織物工場がモチーフになっているんですよ。
足立さんが今まで積み重ねてきたイメージが具現化したっていう感じですね。
秩父銘仙へのこだわりもあって、この積み木を包む風呂敷は、秩父銘仙(ほぐし織り)の技法を使って現職の銘仙職人さんの手で織られています。秩父の山なみ、街なみがデザインされているから、この風呂敷を広げた上でも遊べるんです。
TUMICCOで遊んでくれる子どもたち、そしてお父さん、お母さんが、秩父のことを大好きになってもらって、自分が生まれ育った土地の文化を誇れるようになればいいなって思いますね。
※現在の秩父市誕生祝い品は、規定期間終了に伴い別のおもちゃに変わりました。
「TUMICCO」についてはツグミ工芸舎へお問い合わせください。
秩父産木材でつくられた卓上織機、「ORICCO(おりっこ)」
「ORICCO(おりっこ)」についてもお話を伺いたいと思いますが、これはどんなきっかけがあって作られたんですか?
秩父の織物文化を、誰もが楽しめる形で、さらに秩父の木でつくった織機を通じて伝えていきたいとの想いで考えたものです。昔ながらの織機のミニチュア版のような感じですが、本格的な柄織も600種類位学習することができるんですよ。
誰でも楽しめる形で、秩父の木と織物とをつなげたのは、すごい功績だなぁと思います。
「秩父の木を使って、秩父の伝統技術を広めたい」と思っても、なかなかすぐには広まっていかないな、とは感じています。もともと秩父で織物に携わられている方、人脈がある方など、地元で信頼度と認知度が高い方々が作れば、もっと広がりも早いんだろうなとも思います。
もともと私は社交的な方ではないんですが、だからこそ、おもちゃにしても、ORICCOにしても、人とつながるためのコミュニケーションツールを求めていたのかもしれませんね。
秩父の伝統が、秩父の外からも支えられているところを見て
秩父にずっといる方たちも、足立さんたちの取り組みがなければ秩父の木や織物の魅力、良さに気づけなかったという人たちもいると思います。そういう意味では、全く違う広がり方をしていて、とっても素晴らしいなって。
秩父太織(ふとり)職人で国指定伝統工芸士の北村さんという方がいるんですが、20年以上にわたり、自宅があるさいたま市から秩父の石塚工房(秩父太織を復活させた第一人者である石塚賢一さんの工房)に通って、技術を習得し、後継者となられたんです。その後、北村さんの師匠である前述の石塚賢一さん(秩父太織生産技術保持者。故人)の娘さんが、あとから北村さんのお弟子になった、という話を伺って。秩父の伝統が、秩父の外からも支えられているところを見たんですね。
「こんなに良いものが秩父で生まれたのに、秩父のどのお店でも扱ってないし、売れない。だけど、都内の呉服屋やギャラリーで売ると、初日で完売することもあるっていうことを、秩父の多くの人は知らないんです。」と北村さんが言っていて。それで、「いいものなんだから、どこかで売るところがあってもいいよね」と意気投合して今に至ります。
時代の流れの中で新しい価値観を提案していけば、本当に良いものを再発見するきっかけになるかなと常に思っています
それで、ORICCOにつながっていったんですね。
秩父でも織物がまた再評価されるきっかけの一つになればと思いました。新聞やウェブマガジンなどでも掲載していただいて、当店で開催した展示会とワークショップに秩父市内の方も来ていただけたんですが、「銘仙は知ってたけど、太織は知らなかった」っていう感じで、結構反響がありました。
いきなり何千人の規模で、っていうようにはいかないですけど、ゼロじゃなくて、1人、2人からでも広がっていければ、前に進めるなって思います。
秩父の織物文化に対する価値観を再構築して、現代にアップデートしたんだと思います。ここ数年でそういった動きが広まって、今は「銘仙=かわいい、おしゃれな着物」っていうようにイメージが変わりましたもんね。
時代の流れの中で、なんとなくそういった新しい価値観を提案していけば、本当に良いものを再発見するきっかけになるかなっていうのは常に思っています。
良いところ、悪いところは、それぞれ見方を変えるとまったく逆になったり。見方の提案をすることが大切なのかなって思います。「銘仙は昔の着物だよ」っていうところから、「昔の着物だから、こういったデザインができたんだよ、それが今も受け継がれているんだよ」っていう風に伝えたいですね。
“Think globally, act locally”(地球規模でものを考え、身近な地域で活動しよう) in “秩父”
足立さんが使っている古材と同じですよね。もっといい素材があるかもしれないけど、こういう良いところがあるんだよ、っていう気づきを伝えることが大切なんですね。
「木の地産地消」とか、私のところではときどき「自家採取材木工」なんて言っちゃったりしますけど、簡単にいうと、お金や時間がないので、目の前にあるものを使うことっていうのが一番理に適っていると思ったんです。
単に効率がいい、節約になるっていうだけじゃなくて、地球に優しかったり、とても自然なことだなと思うんです。化石燃料の力を借りずにできますしね。プラスチック製のものは環境への影響もあるけど、木は腐って土に還りますから。
環境問題については、アメリカにいたころから関心があって、秩父で木工をやるにしても、そういった考えのものでやりたい想いはありました。”Think globally, act locally”(地球規模でものを考え、身近な地域で活動しよう)っていう言葉があって、まさにそれだなって。何に関しても、それをやりたいなって。in 秩父(笑)
ありがとうございます(笑)
昔は、この考えをもっと突き詰めたいとも思っていて、秩父に引っ越してきたときには、ストイックに自給自足の生活を送っていた時期もありました。でも、やっぱり車がないと生きていけないじゃないですか。結局、人間が作ったものに頼るしかない。それって何だろうって考えたんです。
仙人みたいな生き方は絶対無理で、現代に生きる人間として、なるべく環境に負荷のない暮らしをして、自然と時代とうまく付き合っていければいいなと思います。ポリシーに合わなくても、いただいたものはちゃんと使って。すべてを反対するのではなくて、あるものを受け入れることが大切だって考えるようになりましたね。
遊びの大切さと楽しみを大人にこそ伝えたいとの想いから、
「ちちぶ 遊びの長屋 やまもり」が始まりました
木育キャラバンやTUMICCO、それにORICCCO。秩父の木や、織物への想いがようやく形になって、たくさんの人に支えてもらいながら、地域に少しでも貢献できていることを実感できるようになりました。それで、今度はいったん個人に戻り、また何か始めてみようと、「ちちぶ 遊びの長屋 やまもり」を考えたんです。
「やまもり」は今までのコンセプトとは少し違うんですか?
主に地元材の木のおもちゃや道具など、「木」を中心にしたおもちゃの広場をやりたいなと思っていました。それに、ウッドスタートは、どちらかというと子どもに特化したものだったので、今度はお父さんお母さん自身が楽しめる、さらに大人だけで来ても楽しい、「遊び」をテーマにしたイベントもできればいいなと考えて始めました。
結局、親が楽しめないと、子どもにも楽しさは伝わらないっていうことと、純粋に大人が楽しめる場をつくりたいなぁって。ワークショップをやったり、パフォーマーさんに来てもらったり、ゲーム大会みたいなのをやったり、おいしいものを食べられたり。それに、ORICCO(おりっこ)の体験教室は毎回必ずやろうと考えています。
さらに、私は英会話教室もやっているんですが、いつかそれもくっついたらいいなと思っているんです。子どものうちから英語をやるのは何も英才教育ではなくて、英語=お勉強ではなくて、英語はコミュニケーションを楽しむツールで、おもちゃと同じなんだよ、っていうことを伝えたいなと。それが伝わる空間を作れたらいいなとも思っています。
方法や形が異なっても、共通して目指したいのは、大人も子どもも楽しめる空間を作ることなんですね。足立さんだからこそできることですね。
個人だからできること、さらに私だからできること、やりたいことをやり続けたいと思うようになりました。「やまもり」は、場所がその都度変わって、年に1~2回開催されるような大きなイベントを目指すのではなく、小さくても同じ場所でコンスタントにできる広場、しかも大人もちゃんと楽しめるものとして続けていきたいですね。もちろん、「木育キャラバン」は今後も協力していきたいと思っています。
季節に1回、年4回ぐらいのペースでやりたいなぁと思います。「やまもり」の入場は無料なので、どんな方でも気軽に遊びに来てほしいですね。
傷がついたり、壊れたり、古くなることが木の魅力だと思います
あらためて、木でつくられたものの魅力ってなんでしょうか。
傷がついたり、壊れたり、古くなることが魅力だと思います。使い込んで黒光りして、年季が入った良さが出る。例えば、「これはあの時にぶつけた傷だね」とか、「お母さんが子どものころに使っていたんだよ」みたいな話ができる。物語が宿るんですね。
それに、金属やプラスチックなどの素材だと壊れたらなかなか直せないけど、木ならちょっとがんばれば直せるから、世代を超えて長く使えます。木のおもちゃって、ドイツや北欧が先進地ですが、そこでは、家具も親子代々使うのが普通です。おじいちゃんの代に作られたものをひ孫が使う、それってすごい素敵ですよね。
日本での暮らしだって、机、イス、おもちゃ、それに住宅など、普段全く木がないことってあり得なくて、気が付かないけど、私たちは意外と木に囲まれて暮らしている。だから、もし山や公園などに行ったときに、「この木が机になるんだよ」とか「TUMICCOはこの木でできているんだよ。」って親子で会話ができるのはとてもいいなあって。
素材が見えるってことでしょうか。
そういう意味では「木育」は「食育」と同じなのかなと思うことがあります。特に木のおもちゃは子どもが普段から手で触れるものですから、一番木の存在を感じ取りやすいのかもしれませんね。大人が話さなくても、子どもにとっての気づきになるんです。工場の機械が作ったものは、何でできているかが想像できないし、自然とつながらないなって思うんです。
自然豊かな秩父で暮せる、子育てができる、その楽しさ。
それに気づかないともったいない!
言葉では伝わらないものを感じ取ることって、子どもにとってすごい大切な経験だと思います。
木は熱伝導率が低く、あたたかみがあって、人間の人肌に近いって聞いたことがあります。何かの本に、木のおもちゃで遊んでいる子どうしは、友達間のトラブルが少ないって書いてあって、そういうのって何だかわかるなぁ~って思いますね。
泥だらけになって遊んだり、野原を駆け回ったり、小さな頃から自然を肌で感じる経験をすることは、子どもの成長にとってすごく大事なことだなと思うんです。
秩父にはすぐ近くに本物の自然があるじゃないですか。森の木も、スギ、ヒノキだけじゃなくて、例えば日本にあるカエデのほとんどの種類が秩父に自生しているように、他の地域にはない多種多様な森が本当に身近にあって。そんな恵まれた地域で暮らせる、子育てができる楽しさに気づかないともったいないですよね。
木がある暮らしを楽しむには、専門家である必要はないと思うんです
最後に、足立さんの考える「木育」とはなんでしょうか?
お母さんやお父さんも、特別なことをする必要はないと思います。「木育」という言葉を意識しすぎる必要もないですし、シンプルに、木がある暮らしを楽しむことだと思うんですよ。
私は、たまたま運とタイミングに恵まれて自分のやりたいことができていますが、私も普通の人ですし、木がある暮らしを楽しむには、必ずしも専門家である必要はないと思うんですね。
「林業をやったり、木を扱う仕事をしたりしないと森や木と関われないわけじゃない。普段の暮らしの中で関われるよ」っていう提案をしたいですね。普通の人こそ、それを楽しむことができる、そのきっかけの一つがウッドスタートであればいいのかなと思います。
タンポポの綿毛が、地面にとまって、ちょっとだけ根付きました
木は、何十年、何百年という長い時間をかけて大きく育ちます。人だって同じですよね。小さいころからいつもそばに自然があれば、地元の森や、その土地自体への愛着が育まれていく。
そうして、自分の家を作るときになれば、「秩父の木を使いたい」と、自然に思うようになるんじゃないでしょうか。子どもの頃の経験や思い出って、大人になっても忘れないものですよね。
ふるさとや自然への想いは、そうやって長い時間の中で養われて、世代を超えて受け継がれることが大事なんだなって思います。「こうすれば良い」って答えがすぐ出るものじゃないですよね。まだ芽も花も咲いていない。たんぽぽの綿毛が地面にとまって、ちょっと根付いたような感じ。時間をかけて大事に育てていきたいです。
そうやって、生まれ育った土地や、そこにある自然への愛着へと育っていく。その種まきをするのが、秩父のウッドスタートなのかもしれませんね。